最後の晩餐

兵庫県 篠山の山奥に佇む"hovel"
ここは私にとって特別な場所。
ここ数年 私の地元はカフェやコーヒーショップなど少しずつ色んなお店が増え始めたけれど その当時は空間や食を心から楽しめるお店は少なく ここができることを知った時は衝撃が走って すぐさま予約した。

約5年前のオープン当初 初めて伺ったときは ナビ通りに進んでいるつもりでも一向に辿り着かなかった。車幅ぎりぎりの山道を一歩間違えたら落ちるかもしれないという恐怖とともに進む。進んでは戻りを繰り返していたら予約していた時間には間に合わなかった。ようやくお店が見えてほっとしたのも束の間 反り立つ壁のような坂道が最後に待っていて唖然とする。冷静を保てず叫びながらアクセル全開で登りきってなんとか到着。
山小屋のようなキッチンの窓から料理を注文する。メニューには色んな野菜やお肉 ハーブの名前が並んでいてどんな料理がどんなふうに出てくるんだろう...とわくわくする。

離れのようなもう一つの小屋に入り大きな窓辺の席に掛ける。料理を待っている間は深呼吸をして草木の匂いをめいっぱい吸い込んだり虫の声や鳥の囀りに耳を傾ける。子供の頃は当たり前だったこの大自然も 地元を離れて都会で暮らしている今は特別に感じる。
主なメニューは丹波で採れた野菜やジビエを炭火でグリルしたものや窯焼きピザ。デザート コーヒー ハーブティーなどもある。野菜はひとつひとつ味が濃くて お肉は味も食感もぎゅーっと力強い。
食べ終わりのテーブルにまでもワイルドさが出る。
モヒートを頼めば「お庭のミントを好きなだけ摘んでください」という夢のようなワードが飛び出るし フレンチトーストを頼めば外の窯で薪をくべてそこでフライパンを熱して焼いてくれてこれまた夢を見ているのか?と思う。野生の孔雀が現れたり 突然雨が降ってきたかと思えばぴたりとやんで晴れ間が見えたり。そんな光景を眺めていると ぼんやりと「ここは天国だな〜」といつも思う。

お隣の町で生まれ育ったから同じような環境ではあるけれど ここで流れる時間はなぜか非日常。パニックになるほど嫌いな虫もここにいるときはそんなに怖くない。むしろテーブルを這う蟻や蜘蛛や見たことのない謎のカラフルなイモムシもこの空間の一部で テーブルを演出してくれているとさえ思えてしまう。この日はえんどう豆のスープがテーブルに置かれた瞬間 同じ色の蜘蛛がやってきて "きゅん"と"ぞわっ"が混在した。

私にとって「食」はひとつの体験。味はもちろん、空間や匂いや器や接客 なんならそこに辿り着くまでの道のりも含めて楽しみたい。この場所はその全てを味わうことができる。食べ終わり 美味しかった余韻に浸りつつも 帰宅するまで気が抜けなくて道中のスリルも含めて思い出になる。

私は頭の中の8割が食のことで埋め尽くされているくらい 食べることが好きだけれど「一番好きな食べ物は?」と聞かれて一度もはっきりと答えられたことがない。ハンバーグ!オムライス!唐揚げ!とか堂々と言ってみたい。それと同じで「最後の晩餐は?」と聞かれると(誰も聞いてない)何か一つを挙げることは難しい。
そもそも人生が終わりに近づいているときにこの山奥まで辿り着けるかどうかが問題だけれど...そんな現実的なことはどうでもよくって 私は人生の最後 この場所で窯で焼いてもらったピザや旬の野菜を食べて食後の珈琲とデザートまでしっかり楽しんで「美味しかった〜幸せ〜」と呟いてそのまま土に還りたい。という妄想。
何の話をしているのかわからなくなってきたけれど この文章を書きながら色んな人の最後の晩餐を知りたいなと思った。

みなさんは最後の晩餐 どこで何を食べたいですか?

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