カメラひとり論争

カメラを買った
私は高校生まで極度の人見知りだった。人見知りなりに頑張ってできた友達も 次の年に同じクラスになることはほとんどなく クラス替えにいい思い出はない。もう社会人になってクラス替えなんてないのに 今でも春の気配にはそわそわしてしまう。

大学生になって地元を出た。友達がゼロの状態からスタートして不安しかなかったけれど その当時流行っていたmixiやTwitterで繋がった人と友達になりサークルにも入った。

そこからみるみるうちに人見知りも治り 絵に描いたようなキャンパスライフを桜花した。主に同じサークルの人と行動をともにすることが多く その思い出を残したいと思いカメラを買った。バイトで貯めたお金で一眼レフを買って どこへ行くにも持ち歩いていた。
大学時代の写真をたまに見返すと 本当に私か?と疑うくらい眩しくてめまいがする。飲み会終わりにカラオケに行って深夜にラーメンを食べてそのままオールをして朝方に眠い目をこすりながら松屋で牛丼を食べるか道端でしじみ汁を飲んで「沁みる〜〜」と呟いて解散するのが日常だった。治安が悪い おそろしい。

その時は人ばかり撮っていた。上手に撮りたいというよりは "カメラで思い出を残す"という体験を楽しんでいたように思う。100人越えのマンモスサークルだったので 話したことのない人も 名前すら知らない人もたくさんいたけれど カメラを構えることで会話が生まれるし みんな楽しそうにこっちを向いてくれる。コミュニケーションツールのひとつでもあった。
そのカメラを持ってフランスとイタリアにも行った。
写真がうまくなった気になるけれど これはただ単に街並みが美しいだけで誰が撮ってもだいたいこうなる。ただ このあたりから人よりも物や景色を撮ることが楽しいと感じるようになった気がする。


社会人になって徐々にカメラを持ち歩くのが億劫になり カメラで写真を撮るのは旅行の時くらいになった。北海道へ行った時 うっかり手を滑らせ岩の上に落としてしまった。6年間使ったカメラがこの一瞬で壊れてしまった...呆気ない。

今思うとカメラへの愛情は薄れていたし 写真は撮りたいけどちょっと荷物だな...と感じていたのも事実で 宝の持ち腐れだった。手放すべきタイミングだったのかもしれない。
壊してしまう数分前。
コンパクトに見えるけれど ポケットには入らないし 肩や首から掛けると地味に存在感があった。
モエレ沼公園もう一度行きたいな。
数々の公園を訪れた中でここが一番好き。

こうしてカメラを手放してから すこしの喪失感はありつつも iPhoneで事足りてしまうな と感じていた。けれど その手軽さ故にぱしゃぱしゃと適当に撮ってぱぱっと加工して投稿するという一連の行為が業務的になり 徐々に違和感を覚えるようになった。そこからカメラを再び買うか否かの葛藤を繰り返すことに。
もちろんiPhoneでもそれなりに綺麗な写真は撮れるけれど 自分の目に見えたままの その場の空気感や臨場感をもっと感じられる写真を撮りたい。かと言って大きなカメラは持ち歩くのが苦になってしまうのでコンパクトなものがいい。てかてかごつごつしてないデザインのものがいい。

というわがままを全て満たしてくれたのがGR
マットな質感とサイズ感が好みで これは心から欲しいと思った。写真を仕事や趣味にしている人からもおすすめされることが多かった。GRを出品しているサイトを見たら在庫は残りひとつ。これは今しかない と思い切って購入ボタンを押した。どきどきした。

手元に届いた日は何も予定のない休日。
記念すべき一枚目は家での一コマ。
お湯を注いでぷくぷくと膨らむ珈琲豆が鮮明に写った。この瞬間 じんわりと高揚感に包まれた。

撮ることが今まで以上に楽しくなって、もう手離せない相棒。

カメラ欲しいな
でもiPhoneでもじゅうぶん綺麗だしな
いや でもやっぱり欲しいな
本当に今の自分に必要?
とひとりで繰り広げていた議論にようやく決着がついた。

カメラを買ったことにより 綺麗な景色を見たいとか知らない土地を訪れたいという気持ちが増して 近頃は暇さえあれば遠出をしている。

しばらくは旅の記録が続きそう。

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