引っ越し

引っ越しをした。
というか引っ越しせざるを得なくなった。
2年半前 転職を機に大阪から東京へ引っ越した。家探しをはじめた当初は職場に通いやすい沿線で探していたけれど ピンとくる物件は見つからなかったし そもそも全く知らない街に住むのは気乗りがしなかった。

東京のイメージのひとつに「好きな街に住んでいる人が多い」というのがある。職場へのアクセスよりも 自分の好きなことを楽しめる環境を優先している気がした。例えば古着好きは吉祥寺や高円寺 音楽好きは下北沢 みたいなざっくりとしたイメージがあって そういった街ごとの色が大阪よりも濃いと感じていた。
職場へのアクセスをとるか好きな街をとるか悩んでいた矢先 豪徳寺に住む同郷の友人から「下の階の人が引っ越して一部屋空いたよ」という連絡が来た。冗談混じりに「住もかな。笑」と返信してみたものの 職場へは微妙に遠く 電車の乗り換えも面倒くさい。ただ豪徳寺はもともと好きだったので この話は頭の片隅に置きながら家探しを続けた。

関西に住んでいた頃から豪徳寺での思い出はいくつかあった。

出張で東京に滞在していたとき"IRON COFFEE"というコーヒーショップを訪れた。楽しみに訪れたお店で冷たい対応を受けてがっかりすることも多い中 ここでは店主が気さくに話しかけてくださって思わず長居をしてしまった。
今は閉店して移転中の"ユヌクレ"のパンが好きで 旅行の度に訪れていた。晴れた日にここでパンを買って緑道を散歩して途中の公園でパンを食べるのが好きだった。私が高校生の頃から推している滝藤賢一が行きつけだというので毎回淡い期待を抱いて行くけれど 結局一度も出会えたことはない。
世田谷線も好きだった。豪徳寺には"山下"という駅名で世田谷線も通っている。東京とは思えない2両編成の小さな電車でゆったりと住宅街の中を走る。向かい合って座る仕様の座席はどう考えても膝がぶつかる謎の狭さ。車窓から住宅街のガーデニングや街並みを眺めるのが楽しい。梅雨の時期は線路の傍にたくさんの紫陽花が咲く。世田谷線に乗る時はSAKEROCKを聴きたくなる。
というなんとものほほんとした思い出が蘇り楽しく暮らせる予感がしたのと 友人が近くにいる心強さから本当に豪徳寺に住むことになった。直感と思い切りは大切。

豪徳寺での生活は想像以上に楽しかった。春にはうぐいす 夏にはひぐらし 秋には鈴虫の声が聞こえてきて 田舎育ちの私にはとてもうれしいオプション。周りには個人店が多く 旅行では見つけられなかった名店にもたくさん出会った。
駅名にもなっている"豪徳寺"では季節ごとに旬の食材が販売される。自分で取って賽銭箱に支払うという田舎でしか見たことがないシステムに親近感が止まらない。青梅を買ってシロップを漬けた。
古いおうちだったので エアコンとドライヤーのスイッチを入れただけでブレーカーが落ちるし 突然トイレの水が止まらなくなるし 「隣にいる!?」と思うくらい上の階の人の生活音が響くしつっこみどころは満載だった。それでも慣れると その不便さえも楽しかった。「今日晩ごはん一緒に食べる?」「ちょっとお散歩行かん?」と友人を誘えば10秒で会える阿佐ヶ谷姉妹のような生活も新鮮で面白かった。

2022年12月
この街で暮らして1年半以上が経ち 3ヶ月後に迫った更新はもちろんする一択だった。友人とよく行く近所の焼肉屋さんで肉を焼きながら「やっぱりこの街最高やな〜。豪徳寺出るならもう東京を出るよな。」と愛を語っていた。
その翌日 仕事から帰宅するとポストに封筒が。大家さんからだった。心当たりはないけれど なんせ物音が響く家なので 住人からのクレームかと思いおそるおそる封を開けると「土地を売却することになりました。2023年8月にアパート終了を予定しております。」という文字が。時が止まった。

2023年2月
追い討ちをかけるように「2023年4月までに引っ越せば敷金返金・原状回復免除・引越し資金をいくらか負担。5月以降に引越す場合は契約者が全額負担。」という内容の通知が来た。
8月までにのんびり探そうと気持ちを切り替えていたところに予想外の裏切り。大家さんの都合で強制退去を言い渡しておいて 不動産の繁忙期(私の仕事も繁忙期)にのこり2ヶ月で新しい家を見つけろなんて酷すぎる。

と落ち込んでいる暇はなく これも何かのタイミングだし こうなったら今よりいい家を見つけて引越し資金を勝ち取ろうと慎重に交渉を重ねた。雀の涙ほどしか出せないと言われていた引越し代を3倍まで引き上げて無事に勝ち取った。仕事でもなかなか感じられないくらいの達成感があり もっと仕事を頑張るべきだと思った。何かの交渉をするとき 私は関西人だなと実感する。

私の人生はいいことも悪いことも そんなことある!?という出来事が度々起こる。今回の引越し騒動は本当に衝撃で悲しい出来事だったけれど「予測不能な私の人生おもろいな」と今ではいい思い出になっている。そして自分でも信じられないけれど あんなに好きだった豪徳寺には引越してから一度も遊びに行っていない。
今住んでいるところは駅から遠く周りにお店はないし うぐいすの囀りも聞こえないけれど ブレーカーは落ちないし日当たりがよくて広くて快適。あれほど場所にこだわっていたけれど 案外住めば都なのかもしれない。次に住む街がどこになるのか 今はそれもたのしみに過ごしている。

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